抱きしめる聖人として知られる聖女アマチが、2006年のワールド・ツアーで、
日本を訪れた時、「世界を浄化するために、トゥラシ(ホーリー・バジル)を世界に広める。」との宣言をされました。
そして、彼女の日本アシュラムの人達が中心となり、
トゥラシ(ホーリー・バジル)を10万本植えるプロジェクトがスタートしました。
下がそのパンフレットです。
2006年から九州の天草市で、
そして、2007年には、南房総市の白浜町で、町興しの一環として、
ホーリー・バジルの栽培を開始しました。
イマジナルのお客様の多くも個人的に、ホーリー・バジルを栽培していらっしゃる方も、
たくさんいらっしゃいます。
日本版トゥルシー・バンの黎明です。
日本中で、ホーリー・バジルが栽培され、
人々が健康で豊かな生活が過ごせる日が来ることを、心より祈ります。
下は、聖女アマチが、インドで造られた「トゥラシー・ガーデン」の記述です。
まるで、インド版『フィンドフォーン』のようなお話です。
ヒンドゥーの伝説によると、トゥラシ(ホーリー・バジル)は、
ヴィシュヌ神が、すべての魂を救済するために、
荒れ狂う海に中から、創り出されたものであるとされていますが、
正しく、ここに世界浄化の原点があるのではないでしょうか。
2004年の津波で大被害を受けたアシュラムの紙ゴミが燃やされた場所に
、トゥラシー・ガーデンができました。何か、象徴的な話のような気がします。
アムリタプリ・アシュラムのグリーンフレンズは、有機栽培による大きなトゥラシーガーデンの造園に取り組んでいます。これは、アンマ御自身の依頼によるものでした。2004年の米国ツアーでは、大きな袋いっぱいのトゥラシーの種をアンマに祝福してもらいました。アンマは、種を胸の前に持ってきて、美しい笑顔を浮かべながら、それを熱心に見詰めていました。それから、サットサンガで、最近話した、ある話をしました。トゥラシーと蓮が、自己犠牲の花であるという話です。種を祝福すると、アンマは、インドのアムリタプリにある自分の僧院に、大きなトゥラシーのガーデンを造りたいと言いました。 一ヵ月後、アムリタプリで、種が容器の中に植えられました。けれども、種は、すぐに大きくなってしまい、アシュラム内で、大きなガーデンを造る場所を見つけるのは、容易なことではありませんでした。ついに、ある日、アンマは、駐車場近くの空き地を、ガーデンの造園地にすることに決めました。 アシュラムのグリーンフレンズは、夢中になって作業を始めました。多くの人が、パーマカルチャー、オーガニックガーデン、造園の分野で、それぞれ自分の専門知識や技術を持ち寄りました。ココナツの林が、ガーデンのメーンエリアを自然な形で取り囲み、牛のために育てた牧草が、不毛な土地に命を与えていました。けれども、土地は砂が多く含まれ貧弱だったので、やらなければならない作業は、たくさんありました。造園経験のある人と無い人が一緒に、石と砂が多い土を掘り起こし、アシュラムの牛から作った堆肥を荷車に積んで運んできました。 一週間後、破滅的な津波が、南インドの沿岸を襲い、アシュラムの敷地内にも押し寄せました。1.5メートル近くあった海水の波が、多くの木と植物を押し流し枯らしてしまいました。アンマの恩寵で、テーブルや棚の上に置かれていた何百という小さなトゥラシーの苗は、洪水の水位より僅かに高いところにあったので無事でした。水が引くと、ガーデンの場所は辺り一面泥だらけになっていました。津波で発生したアシュラムの紙のゴミが全てその場所に運ばれ、燃やされました。この場所に美しいガーデンができるなど、誰も創造が出来ませんでした。 このように、つまずいてしまいましたが、アンマは、ガーデンの造園に意欲的でした。掃除は、すぐに開始しました。ガーデンのデザインが決まり、ココナツの林の中に、大きな渦巻き型のガーデンが造られることになりました。渦の中心には、祭壇が置かれ、そこには、大きくてまだ若い、花が咲く木が植えられていました。渦は、パーマカルチャーで、よく使われるデザインですが、帰依者たちが、トゥラシーのプージャを行う際、マントラを唱えたり、バジャンを歌ったりしながら、植物の周りを歩くのに最適でした。 土に栄養分を与え、不毛で津波の水害を受けた土地を肥沃にするため、パーマカルチャーのシートマルチの方法を応用することになりました。土台をつくったのは、牛糞、薄い石灰層(カキの殻)、ゾウの糞、野菜くず、ココナツの殻から作った堆肥、枯れ葉、わらです。毎日、グループになって材料を集めに出掛け、時には、地元の人々が、過去20年間で作り上げたココナツの堆肥の山を求め、カヌーでバックウォーター(水路)を行き来したりしました。 ジョーティシャ(ヴェーダ占星術)のプラマチャリ、シャクティ・プラサードは、ワストゥ・シャストラ(種まき、井戸掘り、建設などの図案に関連する宇宙のエネルギーについて書かれた聖典)に、従ってガーデン建設を行うのを手伝いました。月が惑星と完全に調和し、種まきをするのに、もっとも縁起の良い日と時間を言いました。種まきの日には、伝統的なプージャが行われました。その後、種まきの儀式があり、さまざまな文化、そして、世界各地から訪れた多くの人々が、世界平和のマントラ「オーム・ロカーハ・サマスターハ・スキーノ・バヴァントゥ」を唱えながら、トゥラシーの種を蒔きました。蒔かれた種は、すぐに芽を出して成長し、ガーデン全体の分どころか、少なくとも1500株多く育ちました。 現在、ガーデンは成長し、勢いよく茂っています。トゥラシーは、非常に早く成長し、多くの個性的な品種は、辺り一面を鮮やかな色でいっぱいにします。紫、そして薄緑から濃緑までの一連の色です。トゥラシーの間には、スイートバジル、バラ、ジャスミン(混作するのによい花)が植えられました。また、トマト、インドホウレンソウ、チリ、スイカが、何本かのココナツの木の根元に植えられました。ハート形をした花壇と蓮池が、ガーデンの端にあり、世界各国の薬草からなる「メディスン・ホイール(聖なる輪)」が、中央のらせん状に植えられたトゥラシーの近くに作られることになりました。現在、取り組んでいるのは、堆肥、排水の管理、雨水の収集です。 毎週、早朝にマントラを唱えながら、トゥラシーの花と葉の先端部分が摘み取られます。それで、9〜12の大きなマーラー(花輪)が作られます。愛情を持って手で編み、ダルシャン中にアンマに渡されます。 トゥラシーガーデンは、継続的な学びの場であり、奉仕を行う素晴らしい機会を与えてくれます。祈りと静観を行うことで、母なる自然に感謝するための場所であり、同時に実用的なガーデニングとパーマカルチャーの技術を学ぶことができます。各国からのビジターと滞在者に加え、近所の人々、村の人々、そして、彼らの子供達が、毎日ガーデンを訪れます。創造の母となる大地への奉仕のため、一つの家族として共に、作業を行うことの手本となっています。 |
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