最近、放射能予防のハーブとして、ホーリー・バジル(トゥルシー)が取り上げられていますが、
今回、知人の方より、被災地の宮古市浄土ケ浜に向けて、
命の行進に出発した人達が、放射能性物質を除去するために、
玄米と味噌汁といっしょに、
ホーリー・バジル(トゥルシー)のお茶を
飲まれるとの情報をいただきました。
生命農法研究会 毛利農園 毛利民雄拝 |
皆様(BCCでお送りしています。)毛利農園便りです。 昨日(6月18日)、日本山妙法寺成田道場で行われた東日本大震災で亡くなった方々の百箇日追善供養に行ってまいりました。 この後、命の行進が千葉から海岸沿いに7月30日まで東北の宮古市浄土ヶ浜向けて出発いたしました。行程の詳細は下記でご覧ください。http://odaimo9.com/ 行進の皆さん恙無く頑張ってください。 |
百箇日法要 |
宮古市に向かって命の行進出発 |
命の行進の集合写真 |
リヤカーを引きながら |
命の行進を無事終えられたそうです。御苦労様でした。その行程の話を、 生命農法研究会 毛利農園の毛利民雄さんが、メールにてレポートしてくださいました。 (以下、原文のまま) |
6月18日に成田の日本山妙法寺を出発した「命の行進」のことをお知らせしまし たが、7月31日終点の宮古市の浄土ヶ浜までの40日間の行脚を終えた矢向安寿さ んが帰って参りました。浄土ヶ浜の行進には40名の方々が参加なさったそうです。 今日のお昼に畑に矢向安寿さんをお招きし、いろいろなお話を聞きました。 終わりに近づいた23日ごろ小さな浜辺で男性の遺体を発見し、救急車が来るまで成 仏するよう皆でお経やお題目で供養をしたこと。 |
女川原発が良く見えるリアスの浜辺で出会った漁師は、3.11の地震のときは海で 漁をしていた、地震で山が崩落する様子が見え、津波がくると判断し沖に船を向け た。しかし、三日間津波が収まるまで浜に近づけずようやく帰った。この浜の漁師で 漁船が助かったのはこの船一艘だけ。一行が野宿をする場所を探しているとうちに泊 まれと連れて行かれ高台にある自宅は半壊状態で、部屋の中を片付けて15人で泊 まった。看護士をしている奥様と二人暮らし、奥様はどこか他の場所に引越しをした いというが、この漁師は、漁を止めない。荒れ狂うのも海(自然)だけれどもお宝を 恵んでくれるのも海だから。 |
気仙沼市などの焼け跡は軍隊の居ない戦場そのものだった。映像には臭いがないが現 場では凄い臭いがする。腐敗した汚泥の菌が乾燥して空中に舞いそれを人が吸う。気 仙沼市などでは結核患者が急増している。 |
命の行進は、朝3時半に起きて、涼しい時間帯に行進(道行く人が、涙を流しながら 手を合わせる)昼以降は目的地で供養の祈りをしたり現地の人と交流したり、今日寝 るところを探したり。朝と昼が玄米のおにぎり、夜は麺類の食事が多かった。ホーリ バジル(トゥルシー)と味噌汁は毎日戴いた。と経験を話す矢向安寿さんは真っ黒に 日焼けした顔でにっこり。(写真)40日間の凄い経験をしてきたのに明日には夜行 バスでヒロシマの平和行進に参加するため広島に向かうとのこと。 命の行進に参加された皆様ありがとうございました。そしてご苦労様でした。 |
真っ黒に日焼けされた矢向安寿さん |
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※「命の行進」の終了レポートですが、
文章中にありますように、この行進は、終了ではなく、始まりだと思います。
今回の東北大地震と原発の崩壊は、何らかのメッセージではないでしょうか。
日本が、豊かな国になるか、心貧しい国になるかの分岐点のような気がします。
皆様(BCCでお送りしています。)毛利農園便りです。
(生命農法研究会 毛利農園 毛利民雄さんからのメールです。)
ご無沙汰しています。 成田は猛暑から一転、秋雨前線の穀雨でホッと一息ついて秋の植え付けの準備をしている今日この頃です。 さて、「命の行進」を終えた日本山妙法寺の成田道場矢向安寿さんが畑に見えられ、礼状と行進の写真をお持ちになられましたのでそれを皆様にメールいたします。 |
冒頭の藤井日達上人の立正安国論の講義は関東大震災を受けての発言だと想像しますが、今回の大震災を予言しているようで驚きました。百姓の私は心正しくして自分に出来ることを毎日精一杯行うことだと思いました。「命の行進」の責任者・ネパールの日本山妙法寺の佐藤達馬上人から『来年は、6ヶ月かけて浜崎原発を出発して日本全国の54箇所の原発を廻る命の行進を行う計画』を立てているそうです。原発推進の息の根を止めたい想いからでしょう。春から初めて8月6日前に広島で終える行進は夏だけの1ヶ月半の行進と比較すると寒さ対策や宿泊所確保などなど難題が横たわっているように思いますが実現したら凄いことでしょうね。 |
これからは矢向安寿さんのお礼状です。
今年の「命の行進」は東日本大震災を受け、責任者である佐藤達馬御上人様のもと、誓願がおこされました。 藤井日達御師匠様が立正安国論を講義されました時、次のように御説法をなさいました。 「宗教というものは個人の心の中の問題だから何を考えようと、どう思っても、それは個人の自由だと今の人は考える。それはいけない。個人の心の中に考える間違いが、そのまま個人の心の中に納まってゆけばよいのだが、それは必ず隣の人に移る。そして段々拡がって社会不安になる。此の事が天地に反映して地震となり、大水となり、津波にもなってゆく。だから人の心を正しくしてゆく。これが、お題目である」 今回、原発事故、また未だ見つけられない数千人の御遺体が眠る場所を行進しました。被爆やその他の危険を伴うことを知りつつ行進を決行したのは御師匠様の弟子として、人々を即身成仏せしめる為でした。 不思議なことに例年よりも多い十名の通し行進者が集まり、行進団は十五名から二十四名でした。放射能が最も高かった福島県庁横での三日間の断食ご祈念には三十名近くの方々、最終地である岩手県宮古市浄土ヶ浜には北海道から九州まで約四十名が断食ご祈念くださいました。 また、参加・ご協力いただいた宗教者もカトリック、ドミニコ会、真言宗、曹洞宗、天理教、立正佼成会など幅広く、ありがたかったです。 そして何といっても、歩く私たちに合掌礼拝される方々がとても多く(中には涙を流しながら)、お題目を求められていることが伝わってまいりました。 四十三日間、不思議なことの連続でした。ほとんど決まっていない宿泊地も(テントの夜約十回)困ることなく、ギリギリで決まりました。伴走車がなく、荷物を背負って歩く覚悟でしたが、結局二日間と半日以外は車で手伝ってくださる方が現れました。米国の平和行進から参加してくださった女性は宮古市役所へ慰問し、副市長と行進団が会談するご縁を持ってこられました。またある浜では、海面に浮いている御遺体を発見しました。皆でお自我偈を唱え終わると同時に、その御遺体は岸に着きました。 そして瓦礫だらけの被災地で、行進者全員が大きな怪我も事故もなく、歩き通すことが出来たのは、皆様からの祈り・応援があったからだと信じています。心より御礼申し上げます。 また、先日ネパールに帰られました責任者の佐藤お上人様は、人一倍、気を張り詰め、御自身を律し、最終日が近づくにつれ話しかけられない程、厳しく行進に取り組んでおられました。そのおかげもあって、他の行進者も慰霊に対してそれぞれ真剣な姿勢を保つことが出来ました。 七月三十日で行進は終わりましたが、いたるところで「これは終わりでなく始まりだ」というような言葉を聞きました。まさにその通りだと思います。このような時代に生を受け、お師匠様のご縁をいただいたこの因縁に感謝し、これからも行動して参ります。この度は、誠にありがとうございました。 合掌 三拝 日本山妙法寺 成田道場 矢向由季 |
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